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舞鶴城に佐竹氏の長男として生まれた義重、周りを北、東、南家の御三家に守られ、お坊ちゃま君と思いきやさにあらず、かなりの苦労人といってよいかと思います。
理由としては北常陸の領主ではあるけれども周りを豪族でかこまれ騒乱が絶えなかった、戦国時代といいますがこの常陸にあってはそれ以前、南北朝のころからずっと戦乱が続いており火薬庫のような地方であった、そして北条、伊達に挟まれ隠居して豊臣政権で安泰かと思いきや息子の決断ミス(異論はあろうかと思いますが)で秋田に国替え、それでも馬に乗り続け最後は鷹狩りの途中、落馬して御臨終・・・
死因は脳卒中、64年の生涯でした、今の感じだと早く思えるかもしれませんが、この時代かなり長生きの方でした、生涯現役という言葉がもっとも似合う武将だと思います。
理由としては北常陸の領主ではあるけれども周りを豪族でかこまれ騒乱が絶えなかった、戦国時代といいますがこの常陸にあってはそれ以前、南北朝のころからずっと戦乱が続いており火薬庫のような地方であった、そして北条、伊達に挟まれ隠居して豊臣政権で安泰かと思いきや息子の決断ミス(異論はあろうかと思いますが)で秋田に国替え、それでも馬に乗り続け最後は鷹狩りの途中、落馬して御臨終・・・
死因は脳卒中、64年の生涯でした、今の感じだと早く思えるかもしれませんが、この時代かなり長生きの方でした、生涯現役という言葉がもっとも似合う武将だと思います。
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茨城県、常陸太田市の中心部にある小高い丘に佐竹氏の居城がありました。基本、太田城と呼ばれていましたが鶴が舞い降りる姿に似ているという事で舞鶴城ともよばれていたらしい、その丘は平安時代には鯨丘と呼ばれていました。 名前は忘れましたが、ある貴族がこの地方を立ち寄った時、広々とした水田地帯に鯨が浮かんでいるように見えたのでそう名づけた、と地方限定本にあっったような気がします、現在は寂れた町の中で鯛焼きならぬ鯨焼きという鯨のかたちのモナカ(よく呼び名がわからないのですが鯛焼きと同じ皮です)にアンコの入った物がうられていました。
今、あるかどうか分かりませんが目をつぶって食べれば鯛焼きと同じものです。
今、あるかどうか分かりませんが目をつぶって食べれば鯛焼きと同じものです。
佐竹義重という武将を語るときに、まず思い浮かべるのが身体能力の高さ
体の丈夫さに尽きる、別にそれだけではないのですが、まず第一に出てくるのが頑丈さです。 一年中真冬でも着物一枚はおり布団もかけず板の間やお外でもヘイキで寝てしまい風邪一つひかない、体も心も人一倍弱い自分には羨ましい限りです。
戦となると先頭を切って飛び出し槍ほど長い鉄棒を振り回す、この鉄棒がどんなものか見たくて彼の居城があった常陸太田市の歴史館?みたいな元市役所だった建物まで行ったのですが江戸時代、徳川の西山荘などの資料のほうが多く佐竹氏のものはヨロイすらありませんでした・・・
関が原以降、家康によって国替させられた秋田の資料館なればその鉄棒があるかもしれません、義重の鉄棒と宮本武蔵が使った長い木刀、是非とも死ぬまでに見てみたいもんです。
佐竹氏は足利幕府時代、尊氏より守護職をまかされました、その点では由緒正しき常陸の守護大名なのですが幕府の力も衰え、方々の豪族も勢力が強く常陸を統一しているという感じではありませえんでした。
そしてさらに伊達と北条が力を付けのし上がってくると上と下から挟まれる形となり危機的時代を迎える事となります。
其の時、佐竹氏を守ったのが鬼佐竹こと佐竹義重18代当主なのです。
そしてさらに伊達と北条が力を付けのし上がってくると上と下から挟まれる形となり危機的時代を迎える事となります。
其の時、佐竹氏を守ったのが鬼佐竹こと佐竹義重18代当主なのです。
前記したものの続きですが武士というものは少なくとも織田信長が常備兵制度を行なう前までは基本的に農民、貴族時代にあっては開拓農民だったものが時代が経つに連れ勢力を拡大していったものです。ドラマ等で「戦が恐いんなら百姓にでももどれー」とか武士の上下で騒いでいたりしますが元々、お百姓さんなのにそんなセリフがでるとは・・とか見るたび不思議に思います、いくさ、合戦といっても農閑期に入る秋から冬の間に行なわれるのが普通、それに盆地とかで戦闘の際には他のお百姓さんたちが家族で弁当持参で見物、終了したら竹やりを持って落ち武者狩りの運びとなります。
ここまで来ると大人の運動会を命がけで遣ってるだけのような感じもしてくるのは小生だけでしょうか?
アニメーターも春から秋までは農業に従事し秋から冬の間、作画に取り組むようになれたら、と時折、思ってしまいます。
ここまで来ると大人の運動会を命がけで遣ってるだけのような感じもしてくるのは小生だけでしょうか?
アニメーターも春から秋までは農業に従事し秋から冬の間、作画に取り組むようになれたら、と時折、思ってしまいます。